田澤歯科

JR田浦駅 下車徒歩5分

京急田浦駅より京急バス 「田浦郵便局」下車すぐ

国道16号下り線沿い ENEOS G.S.と郵便局の間

駐車場8台完備・バリアフリー

国道16号線、田浦四丁目の交差点を横須賀本町方面に進み、エネオスガソリンスタンドの向う隣です。ガソリンスタンドに入るつもりで左にウィンカーを出し減速してお入り頂くとスムーズです。駐車場スペースは医院前に4台、地下に2台、近隣2台となります。満車の際は当院スタッフが誘導いたしますので、お手数ですが一旦クルマを停車させてから受付にお声掛けください。

JR田浦駅より徒歩で5分ほどです。改札を出て左側の階段を下り、目の前のロータリーの越えた所に信号が見えます。信号は渡らずに右に曲がってトンネルを抜けると目の前に三本の歯ブラシがデザインされた旗が見えます。そこをお入り頂いたところが当院です。

1920年代、田澤 穣が横須賀市田浦に開業。

開業当時から今も受け継がる旧字体の表札。

開業時の診察台。現在の物と同じ吉田製作所製。

田澤家は江戸時代初期・1616年(元和2年)より医療に携わる家系で、その技術と考えは代々受け継がれてきました。

資料として明確に残されているものとして医師、第六代 田澤清がおります。

清は山形県西田川郡鶴岡五日町(現・山形県鶴岡)の外科医として江戸時代後期~明治時代に開業しました。

清の次女・冨の夫、田澤秀四郎は明治44年に東京帝国大・医科大学卒業後、39歳でベルリンにて脳外科のために3年間留学しました。

帰国後、大正6年に東山脳病院(愛知県愛知郡東山村)の医院長を経て東京大学・精神科医学士に就任しています。

秀四郎の息子、田澤穣はリベラルな感性の持ち主で、父や祖父、先代の医療現場を幼い頃から見続ける中、「最先端の医療を用いても、人の命を救うことには限界がある…」と悟り、歯科医師を目指し、1920年代に横須賀田浦で田澤歯科医院を開設します。

当時、近所には大日本帝国海軍の横須賀海軍工廠があり、一人一人の出港予定を伺いながら治療を行うスタイルをとっていました。

これこそ、患者さんの都合を第一に考えた田澤歯科の『予約の要らない歯科医院』のルーツです。

穣の長男、田澤勇がこの後を継ぎ、「歯の痛みを我慢できないことは、歯医者が一番よくわかっている!!」と予約制をとらず、「地域に密着した、開かれた医療」に務め、この考えと技術は勇の息子で現在の医院長、田澤勇人へと受け継がれています。